住友 友成(すみとも ともなり、1909年(明治42年)2月20日 - 1993年(平成5年)6月14日)は、住友家16代当主で、最後の住友本社社長。アララギ派の歌人でもあり、斎藤茂吉、川田順(住友本社の重役)とも交流があった。歌人の雅号は「泉幸吉」。幼名は厚。男爵。
来歴
1926年(大正15年)3月2日、父友純が没する。同年3月9日に厚を改め住友吉左衛門を襲名し、5月1日、男爵となる。住友合資社長に就任。以降、住友銀行や住友信託、住友生命、住友倉庫などの取締役に就任する。
1931年(昭和6年)、大阪城天守閣復興(総額150万円)のうち25万円を寄付する。
1933年(昭和8年)、京都帝国大学文学部史学科を卒業。
1937年(昭和12年)、旧住友本社社長、住友鉱業取締役となる。
1939年(昭和14年)、東京別邸として、神奈川県横浜市戸塚区東俣野町に俣野別邸を建築した。
1945年(昭和20年)11月、GHQの四大財閥解体命令により、関係会社の役職を辞任。以降、一切の役職に就くことはなかった。
1946年(昭和21年)5月31日、爵位を返上する。
1947年(昭和22年)10月、公職追放となる。
公職追放後は専ら歌道に親しみ、「雲光」や「途上」、「魚雷」、「青い霧」などの歌集を顕した。ペンネームの「泉幸吉」は、住友家の屋号「泉屋」に由来する。
1993年(平成5年)6月14日、死去。
2004年(平成16年)、居宅であった旧住友家俣野別邸が重要文化財に指定された。
2009年(平成21年)3月15日、俣野別邸が不審火で全焼。2011年(平成23年)4月に文化財指定解除。
2016年(平成28年)、横浜市が俣野別邸を再建し、2017年(平成29年)2月10日に横浜市認定歴史的建造物に認定した。
家族
- 父 - 住友友純(住友家15代当主)
- 母 - 満寿(住友家12代当主住友友親の長女)
- 兄 - 住友寛一
- 弟 - 住友元夫
- 妻 - 春子(西園寺八郎の二女)
- 長女 - 邦子(伊勢神宮大宮司などを歴任した旧侯爵佐々木行忠の長男行美に嫁ぐ)
- 二女 - 博子(元昭和電工会長安西正夫の二男直之に嫁ぐ)
- 養嗣子 - 芳夫(弟元夫の長男)
- 養孫:隆道(1976/2/9-)
- 養孫:容子(1977/1/26-)
系譜
他家との関連
皇室との関連
東山天皇の男系七世子孫である。東山天皇の孫(閑院宮直仁親王の子)で鷹司家を継いだ鷹司輔平の男系後裔。
詳細は皇別摂家#系図も参照のこと。
脚注
参考文献
- 小田部雄次 『華族:近代日本貴族の虚像と実像』 中公新書、2006年、ISBN 4-12-101836-2
外部リンク
- 旧住友家俣野別邸[1](晩年住友友成が過ごした邸宅、佐藤秀三の設計、国の重要文化財に指定)




