千 容子(せん まさこ、1951年〈昭和26年〉10月23日 - )は、日本の元皇族。千宗室(茶道裏千家第16代家元)の妻。勲等は勲一等。皇籍離脱前の身位は内親王で、皇室典範における敬称は殿下。旧名、容子内親王(まさこないしんのう)、お印は(かえで)であった。三笠宮崇仁親王と同妃百合子の第2女子(3男2女のうち第4子)。明仁(上皇)は従兄、徳仁(第126代天皇)は従甥にあたる。姉に近衞甯子(甯子内親王)、兄に寬仁親王、桂宮宜仁親王、弟に高円宮憲仁親王がいる。学位は法学士。

略歴

松濤幼稚園、学習院初等科、学習院女子中等科、同高等科を経て、学習院大学法学部法学科に入学。3年修了後、スイスの全寮制の学校で学び、後にパリに移り、ソルボンヌ大学で学ぶ。その間に、奔放な生活ぶりを母・百合子妃が心配し、連れ戻しにいったこともあるという。帰国後は、学習院大学法学部に復学。卒業後は、長兄・寬仁親王が主宰する「柏朋会」などで、フランス語の講師を行なったりと、皇族内でも語学堪能のため皇室内の外国交際の際は重宝されたという。

1983年(昭和58年)10月14日、裏千家15代家元・鵬雲斎千宗室(現・千玄室大宗匠)の長男・坐忘斎千宗之(後に16代家元・千宗室)と結婚。

翌年の1984年(昭和59年)に長男・明史を出産。

1987年(昭和62年)に長女・万紀子、1990年(平成2年)に次男・敬史の2男1女をもうける。

2002年(平成14年)、夫の家元襲名に伴い第16代目家元夫人となる。茶道裏千家淡交会副理事長・国際茶道文化協会会長等、裏千家および茶道関連の法人の要職に就いている。長女・万紀子は、立命館大学4年在学中の2009年(平成21年)、葵祭・第54代斎王代に選ばれ、容子とそろって取材を受けた。

2017年(平成29年)、阪田修三・佳子夫妻の長男で医師の宗弘と結婚しており、この時、皇室から三笠宮家及び高円宮家の妃や女王達(母・百合子妃のほか彬子女王、憲仁親王妃久子、承子女王、絢子女王)も参列した。

2019年(令和元年)には、千宗室・容子夫妻にとって初孫となる女児が誕生した。長男・明史は茶人を継ぐ道を選ばず、詩人として活動。戸籍名「菊地明史」として、2014年(平成26年)12月に独立(分家)、2024年(令和6年)8月20日死去。次男・敬史は茶人の道に進み、2020年(令和2年)10月8日、若宗匠に就任し、同日より「千宗史」を名乗る。また、この継承における一部の諸行事にも皇室から三笠宮家の彬子女王が参列した。

系譜

脚注

外部リンク

  • 京都新聞 2009年4月13日>葵祭、斎王代に千万紀子さん 裏千家家元の長女 - ウェイバックマシン(2016年3月4日アーカイブ分) - 千宗室夫妻との写真あり
  • 裏千家ホームページ 千万紀子様、第54代斎王代に

千容子元内親王(三笠宮崇仁・百合子さま次女)の若い頃!奔放エピソードとは? バズログ!

ご挨拶 ソロプチミスト日本財団について 公益財団法人 ソロプチミスト日本財団

斎王代に裏千家家元の長女/京都・葵祭のヒロイン 葵祭の第54代「斎王代」に決まった千万紀子さん=13日午後、京都市上京区 四国新聞社

嫁入日本神秘家族的皇室公主千容子,用三十多年熬成了家族掌门人 壹读

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