滝川 具章(たきがわ ともあきら)は、江戸時代の旗本。村上源氏北畠庶流滝川家(常陸片野藩主滝川雄利の子孫)分家初代当主。通称は三郎四郎、官位は従五位下、相模守、備中守、丹後守、山城守。
生涯
寛永21年(1644年)、旗本滝川利貞の三男として生まれた。母は旧片野藩主滝川正利の娘。万治3年(1660年)、初めて徳川家綱に御目見した。寛文3年(1663年)、譜代大名・旗本の庶子120人が召しだされて書院番に入番したうちに選ばれて番士となり、寛文5年(1665年)に廩米300俵を与えられた。
寛文10年(1670年)、中奥番を経て奥小姓に登用され、200俵加増の上従五位下相模守に叙せられた。延宝5年(1677年)に500俵を加増されたが、延宝8年(1680年)に家綱が死去したのに伴って小姓を辞職し、寄合に列した。
元禄5年(1692年)、目付に任命されて復職。元禄9年(1696年)、京都町奉行に昇進、近江国滋賀郡内に500石を加増された。元禄10年(1697年)、廩米1000俵に替えて滋賀郡と蒲生郡のうちに高1000石の知行を与えられ、都合近江国内1500石を領する。
ところが元禄15年(1702年)10月、江戸に召還の上、能力不足として京都町奉行を免職され、小普請入りを命ぜられた。
正徳2年(1712年)死去、享年69。
系譜
- 父:滝川利貞
- 母:滝川正利の娘
- 正室:酒井忠勝(出羽庄内藩主)の娘 – 初め松平忠利(旗本五井松平家嫡子)室。夫の早逝後、具章に再嫁。
- 長男:滝川利忠(? - 1701) – 父に先立って死去。
- 側室:家女
- 次男:滝川平利(1688 - 1723) – 遺領のうち1200石を継ぐ。
- 長女:稲生正武室
- 三男:滝川邦房(? - 1728) – 遺領の分与を受けて300石を継ぐ。
- 次女:安藤信賁室
- 四男:滝川具英(1696 - 1757) – 平利の養子。
分家邦房の婿養子利行が所領300石を返上して具英の所領1200石を継ぎ、子孫は1200石の中級旗本として幕末まで続いた。鳥羽・伏見の戦いの戦端を開いた大目付・滝川具挙はこの家の幕末の当主である。
参考文献
- 『寛政重修諸家譜』巻466.
- 『徳川実紀』
- 『徳川幕臣人名辞典』東京堂出版, 2010. p. 393.
脚注
注釈
出典



