シーモン・ウーロフ・カール・アスペリン(Simon Olof Karl Aspelin, 1974年5月11日 - )は、スウェーデン・サルトショーバデン出身の男子プロテニス選手。ダブルスのスペシャリストとして活動し、2007年全米オープン男子ダブルスでユリアン・ノールとペアを組んで優勝。2008年北京五輪男子ダブルスでトーマス・ヨハンソンと組んで銀メダル獲得。彼は普段からダブルスのみに活動を絞り、4大大会の男子シングルスには1度も出場がない。ATPツアーで2007年全米オープンを含むダブルス12勝を挙げた。ダブルスの自己最高ランキングは7位。身長185cm、体重80kg、右利き。日本語では「サイモン・アスペリン」の表記も多く見られる。
来歴
アスペリンはジュニア時代から現在に至るまで、ずっと父親のコーチを受けてきた。1993年から1997年までアメリカ合衆国カリフォルニア州マリブ市のペパーダイン大学に在学し、全米大学チャンピオンを経てから、1998年に24歳でプロ入りした。最初の2年間は男子ツアー下部のフューチャーズやチャレンジャーでシングルスもこなしたが、2000年以後はダブルスに専念するようになる。彼の最初期のパートナーは、同じスウェーデンのヨハン・ランスベリであった。2000年2月、ランスベリと組んでオープン13大会でツアー初優勝を果たす。アスペリンとランスベリは年末の男子ツアー最終戦ATPツアー世界選手権にも初出場し、予選総当たり戦を突破して準決勝に進んだ。2001年に男子テニス国別対抗戦デビスカップスウェーデン代表選手に初起用された。
それからしばらく好成績がなかったが、2003年に男子ツアーで2つのタイトルを獲得する。2004年ウィンブルドン選手権男子ダブルスのベスト8進出をきっかけに、アスペリンは大半のトーナメントでトッド・ペリーとペアを組むようになり、2005年にペリーとのペアで年間2勝を挙げた。2005年10月のジャパン・オープン・テニス選手権決勝で鈴木貴男/岩渕聡組と対戦した出来事をきっかけに、アスペリンは日本でも知名度を獲得する。この大会のダブルスは、1セットを4ゲーム先取する変則的な方式で行われ、アスペリンとペリーは4-5(3), 4-5(13)のスコアで日本ペアに敗れた。アスペリンとペリーは、2006年10月のパリ・マスターズを最後にペアを解消した。
2007年全米オープンで、アスペリンはユリアン・ノールとペアを組み、33歳にして4大大会男子ダブルス初優勝を飾った。2人は決勝でのルーカス・ドロウヒー/パベル・ビズネル組を7-5, 6-4のストレートで倒した。全米オープン優勝直後、デビスカップ2007ワールドグループ準決勝対アメリカ戦で、アスペリンは初めてシングルス戦に出場した。すでにスウェーデン代表の敗戦が決まった後の消化試合だったが、彼は8年ぶりのシングルスでジェームズ・ブレークに1-6, 3-6で敗れた。2008年北京五輪男子ダブルスで、アスペリンはトーマス・ヨハンソンと組んで銀メダルを獲得する。2人は決勝でスイスのロジャー・フェデラー/スタニスラス・ワウリンカ組に3-6, 4-6, 7-6, 3-6のスコアで敗れた。
アスペリンは2011年7月、地元のスウェーデン・オープンダブルス準優勝を最後に37歳で現役を引退した。
ATPツアー決勝進出結果
ダブルス: 33回 (12勝21敗)
外部リンク
- シーモン・アスペリン - ATPツアーのプロフィール (英語)
- シーモン・アスペリン - デビスカップのプロフィール (英語)
- シーモン・アスペリン - 国際テニス連盟




